Sakura to Nanohana

いろいろあるけどそれでも春はちゃんとやって来るのだ。それはもうあたりまえのことなんだけどそのあたりまえがあたりまえでなくなることだってある。桜をみることができる。菜の花をみることができる。あたりまえがあたりまえであることは素晴らしいのだ。

Kamo

手賀沼公園で以前に撮った写真。鴨が三羽並んでいるんだけど、ナゼかこの写真、エマーソン・レイク&パーマー1972年のアルバム 『Trilogy』のカバー・アートを思い出す。逆向きだけどキース・エマーソン、グレッグ・レイク、カール・パーマーなのだ。

Sodento

手賀沼沿いにはいくつもの送電塔が走っている。これを景観を損ねると思うのか?自然の中に人工物が交じり合ってある意味美しいと感じるかは人それぞれだろう。ないに越したことはないが、赤と白の送電塔も手賀沼の一部だと思えばそれはそれで美しくも見える。

happa

その葉っぱは遊歩道の真ん中に浮かんでいた。落ちていくわけでもなく、舞い上がるわけでもなく、ただただそこに止まっていた。まるで時間が止まって、あらゆるものが動くことを諦めてそこに佇んでいるかのように。でも時間は止まっていないし、実際にボクは動けている。

genji

仙台 源氏…仙台には数々の名店有れど、この『源氏』はやはり必ず訪れたいところだ。料理とかお酒とかそういうことではなくそこに居るだけで他では味わえないものがある唯一無二のお店なのだ。以前は仙台に行った時は必ず1軒目、もしくは二軒目に訪れていた。

hyakukoshin

千葉県印西市浦部の木下街道沿いに並んでいるのが赤い百庚申。天保十年(1839年)に造立されたもので刻像塔10基と文字塔90基からなっている。普通の百庚申でもその光景はなかなか壮観なものがあるが、それが赤い百庚申となると更にインパクトがある。

botankusagi to nagasakiageha

自転車でいつも通る遊歩道に毎年咲いている花がある。多分ボタンクサギだろう。中国中南部原産クマツヅラ科の落葉低木で、半球状の花をボタンに見立て葉に臭気があることからボタンクサギ。アゲハチョウが好んでよく飛来する花で、この時もナガサキアゲハが。

neko no ki

いつもの遊歩道、いつも青空の下に大きな猫が横たわっている景色がある。そこを通る人の中にはきっと同じように思っていたり、猫の木と呼んでいる人だっているに違いない。実際、自分のブログに写真を載せて猫の木と表現している方がいたが亡くなってしまった。

happa

それにしても夏は緑色をしていた葉っぱが、秋になるといろいろな色に変化するのはどうしてなんだろう?そういうものだ、で済ましてしまうには勿体ない不思議だ。葉っぱが緑色なのは、葉っぱの中に葉緑素と呼ばれる緑色のつぶがたくさん含まれているからなのだ。

susuki?ogi?

多分この写真に写っているいるはススキではなくてオギなんだろうな。ススキは乾燥した場所に生えるから、沼沿いのこれはきっとオギに違いないだろう。まあススキであろうがオギであろうがどちらにしてもその姿を見れば秋の到来を感じることに変わりないけど。
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