時間が向こうからやって来てどうぞ自由に使ってねと言ってくれていた頃のお話

大切にする

ディスコ

そこには誰かが焚いたらしい香の匂いは漂ってはいなかった。

ましてやサンタナのコピー・バンドの生演奏などはない。

確かにそういういった時代もあったのだろう。

そもそもディスコの語源はフランス語。

レコードの意味の『disque』と、
図書館やライブラリの意味の『bibliothèque』とを合わせたものだそうだ。

第二次世界大戦中、
ジャズが禁止されていたナチス占領下のパリ。

若者たちは地下倉庫で密かにレコードをかけて踊っていた。

それがディスコの始まりらしい。

生バンドではなくてやはりレコードなのだ。

ディスコに通っていた時期

ボクにもディスコに通っていた時期がある。

もちろんクラブではない。

ディスコティックなんて呼び方もしなかった。

誰と行ってたんだっけ?

大学の友達と、
授業が終わって明るいうちからお酒を飲んだ後とかだったかな。

誰かさんのように女の子とレストランでビールとピザでゆっくり食事を済ませてから行ったなんて記憶はない。

デートで行くような場所だなんて考えたこともなかった。

それで、
あれはいったい何だったのだろう?

それで、
あれは何を求めて行っていたんだろう?

それで、
あれはそもそも何かを求めていたんだろうか?

それで、
可愛い女の子発見の冒険でもしたかった?

それで、
ただ音と交わりたかっただけ?

それで、
ぴかぴかの電車に乗るための時間潰しだったり?

それで、
行き場のない欲求の道案内をしてあげるためだったり?

それで、

それで、

それで、

まあどうでも良いことだ。

過去に意味付けをしたければ今に何を提供してくれているのか?だ

いちいち過去の行動に意味付けしようとすることほど、
意味のないことはない。

なぜなら、
もう済んでしまったことだからだ。

意味付けをしたければ、
済んでしまったことが今に何を提供してくれているのか?だ。

それでも、ひとつだけ確かなことは、
それはそれで楽しかったし良い時期だったということだ。

時間が向こうからやって来て、
どうぞ自由に使ってねと言ってくれていた頃の話だ。

別に時間を持て余していたというわけではない。

あれは目には見えない大事なものを、
ちゃんと大切にできる大人になるための時間だったと思っている。

下らないことばかりの日々で後悔の数が増えると、
時として大事なものをきちんと丁寧に大切に扱えるようになったりするものだ。

そんな風に考えると、
後悔の数を増やすこともあながち悪いことではなくなるのだ。

不安定に積み上げられたカップにも、
ちゃんとコーヒーを注ぐことができるようなものだ。

まあ、
捉え方次第で同じことでも違うものになるものだ。

Bob Dylan – One More Cup Of Coffee

さて、今宵お送りする曲はボブ・ディラン。

コーヒーが出てきたからというわけでもないが『One More Cup Of Coffee』を聴こう。

1976年リリースのアルバム『Desire』に入っている。

エミルー・ハリスの声はこの曲にぴったりだし、
スカーレット・リヴェラのヴァイオリンも良い。

歌詞の中の一部、

One more cup of coffee for the road
One more cup of coffee ’fore I go
To the valley below

Bob Dylan;One More Cup Of Coffee

『the valley below』は、
『旧約聖書の詩篇の中の詩篇23篇『ダビデの賛歌』の中に出てくる『死の影の谷』だろうか?

ボクには難解過ぎてこの歌詞の意味を正確に捉えることができない。

でも、サンタナのコピー・バンドで踊るよりも、
この曲に身を任せている方が何となく気持ちが良い気がする。

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