そうなのかな?そうかもな…でもそうでもないかもしれないな

イマジン

想像力の向こう側

知らないよりは知っている方が良いんだろうか?
知らなければそれで済んじゃうんだからその方が良いんだろうか?

さて想像は知識の範囲内でしかできないものなのだろうか?
それとも知識の範囲を突き抜けられるのだろうか?

誰だったか、
想像力の向こう側には行けないと言っていたような気がする。

人間は想像力の範囲内でしか動けない云々。

そうなのかな?そうかもな…
でもそうでもないかもしれないな。

最後の晩餐

例えば最後の晩餐で何を食べるのか?
と想像してみる。

当然選択肢が多い人もいればそうでもない人もいるだろう。

どちらにしても、
想像のできる範囲でしか料理を想像はできないということになるのかな。

確かに知らなければ想像はできないから、
範囲内での想像でしか食べ物は浮かばないのかもしれない。

そういう意味では想像力の向こう側には行けない、
というのもあながち間違ってはいないのかもしれない。

ただ選択肢が多い方が良いのか?
と言えばそうとも限らない。

選択肢がある方が豊かな想像はできるかもしれないけれど、
何を選択するのか?
はまた別の問題だからだ。

もしかすると選択肢が少ない方がシンプルに決断できて、
本当に食べたいものを食べられるかもしれない。

選択肢が多ければ多いほどどれを選んで良いのか?
がわからなくなってしまうかもしれない。

そしてあれも食べたいこれも食べたいもっと食べたいもっともっと食べたい状態になってしまい、
結局は最後の晩餐がお預けになって1つ前の食事が最後になってしまうかもしれない。

そもそもあれが食べたいこれも食べたいと思っても、
それが実現不可能な場合だってあるかもしれない。

知っている分、
食べたいのに食べられなければ知らない方が良かったということになるかもしれない。

知識は想像を豊かにはするかもしれないけれど、
もしかすると想像の自由を奪ってしまうかもしれない。

そして、
却って想像を貧弱なものにしてしまうかもしれないのだ。

選択力

でも選択力があれば、
また違うかもしれない。

知識はある意味、
選択力をも豊かにする。

この場合の知識は、
経験と置き換えても良い。

なのでボクは想像力や選択力を豊かにしてくれるであろう知識を、
いつまでも拡げていきたいと思う。

結局最後に食事にありつけなくても、
豊かな想像ができるだけでお腹も膨らむというものだ。

それに想像を豊かにできる知識を培ったのは、
やはりそれまでの経験があるからなのだ。

選択肢が多いということは、
それまでの時間の豊かさと言えなくもないしね。

ただ知識は想像を豊かなものにはしてくれるかもしれないけれど、
想像力の向こう側に行けるようにはしてくれないのかもしれないな。

まあ行けるとしたら、
自分とは違った知識を持っている人に連れて行ってもらえば良いだけの話なんだけどね。

Doors – Break On Through (To The Other Side)

さて曲はドアーズ、
1967年の『Break On Through (To The Other Side)』だ。

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