Overture…誘惑に屈するのも悪くない(誘惑についての3つの言葉)

誘惑

Yield to temptation.It may not pass your way again.

Yield to temptation.
It may not pass your way again.

ーRobert Anson Heinlein

誘惑には屈する方がいい。
もう二度と訪れないかもしれないから。

とは、
SF作家ロバート・A・ハインラインの言葉。

フムフム、
確かに二度と訪れないかもしれないのならチャンスをみすみす逃してしまうのは少しばかり勿体ない。

なんて言うと、
眉を顰める人がいるかもしれないけれどこの姿勢は嫌いじゃあない。

もちろんそれがどんな誘惑なのか?にもよるけれど、
何でもかんでも屈することは悪いことだと最初から決めつけてしまうのはちょっと違う気がする。

せっかく訪れてくれた誘惑が、
新しい扉の鍵になるかもしれない。

屈することで、
今まで知らなかった世界が拡がるかもしれないのだ。

そんなふうにステキな可能性があるかもしれないのに、
ただそれは良くないことだと目をつむってやり過ごすのはどうなんだろう?

例えば子供は好奇心の塊だから、
そこを目掛けてさまざまな誘惑が迫ってくる。

もしそれを周りの大人たちが「ダメよ」と全て取り除いてしまったら、
いったいその子はどんな大人になってしまうのだろう?と考えると少し怖い。

小さな世界に閉じ込めて好奇心を奪うことで、
恐ろしく狭い視野と余りにも虚弱な想像力しか持ち合わせていない大人をつくることになるかもしれない。

もしくはその反動で、
選択する自由を忘れたあらゆる誘惑に身を委ねるだけの大人にしてしまうかもしれない。

思うに、
好奇心と誘惑はきっと比例するものなのだ。

好奇心が強ければさまざまな誘惑がやってきて、
広い視野と高い想像力を手に入れることができる。

でもそれが本当に良いのかどうか?
は人それぞれなんだろう。

ただ狭い視野と低い想像力では、
明らかに選択肢は少なくなる。

ボクは、
選択肢がいつもたくさんある方が良いかな。

だから、
もちろん取捨選択しながらではあるが訪れる誘惑にはなるべく屈するようにしている。

ただ年齢を重ねていくと、
何だか好奇心のメーターがどんどん下がっていっている気がする。

好奇心メーターの針が上がらなくなれば、
訪れる誘惑の数も自然に少なくなってしまうだろう。

それはとても平和で穏やかだなことだから、
悪いことではないという意見もあるだろう。

でもボクは、
それだと少しばかりつまらないかな。

誘惑

Without temptation the soul cannot grow.

そういえば『As a Man Thinketh(「原因」と「結果」の法則)』の、
ジェームズ・アレンはこんなふうに言っている。

Without temptation the soul cannot grow.

James Allen

誘惑なしに魂の成長はない。

といった感じだろうけど、
これにもボクは大賛成。

易きに流れることは一般的には悪いことだとされている節があるけれど、
我慢ばかりしているとあまり魂には良くないことなのかもしれない。

そもそも誘惑を遠ざけるってことは、
ある意味思考を停止させているようなものだ。

よく誘惑になんか負けちゃ駄目だって言う人が居るけど、
それって何も考えるなと言っているのと同じなんじゃないか?と思うことがある。

負けない負けまいとしているうちに、
視野の狭い想像力不足の魂になってしまうかもしれない。

ある誘惑を目の前にしたら、
本来ならばその先を想像するはずだ。

誘惑によっては、
酷い目に遭うかもしれないからだ。

でも本当はその想像がアタリかハズレかなんて、
屈してみなければわからないのだ。

そうやって運良くアタリを引いたり、
残念ながらハズレを引いたりしながら視野は広がり想像力は膨らんでいくんだろうと思う。

だから誘惑は魂を成長させる、
誘惑なしに魂の成長はやはりないのだ。

誘惑

The only way to get rid of a temptation is to yield to it.

最後にもう1つ。

The only way to get rid of a temptation is to yield to it.

Oscar Fingal O’Flahertie Wills Wilde

誘惑から自由になるたったひとつの方法はそれに屈することだ。

これは19世紀末文学の旗手と言われる、
オスカー・ワイルドの言葉だね。

屈しなければ、
いつまでもその誘惑に囚われたままになる。

そこから自由になるには、
屈するしかない。

ただその誘惑からは自由になれたとしても、
また違う誘惑がやってきて今度は自由が奪われてしまうことになるかもしれない。

それでもそんな不自由さは、
きっと魂の強さとなり広い視野を生み出し膨らんだ想像力となるのだ。

誘惑

そんなわけで誘惑を受け入れるのは決して悪いことでもない

でもまあ、
これは1つの考え方だ。

共感してくれる人や眉を顰める人、
さまざまだろう。

でも、
それで全然良いのだ。

みんなそれぞれ、
各々違うのだから。

ただ、
それを許せない人たちも中にはいるんだよな。

スルーすれば良いだけなのに、
自分の考え方と違うことがなぜか許せないみたいなのだ。

なぜだろう?
みんなそれぞれ違うんだから受け入れれば良いのにね。

その許せないが本当に自分自身の許せないのだったらまだ良いけど、
誰かの言葉やつくられた気分に乗せられただけの許せないだとしたらちょっと手に負えない。

だって、
そこには想像力がないからだ。

想像力に欠けているから理屈は通らないし、
思いやれないし結果どうなるかがわからないのだ。

でもそういう人たちって普段は誘惑から目を背けることや自分をきちんと律することができる、
易きに流れない人たちなのかもしれないね。

まあボクはそんなふうにはなれないから、
ここでこんなことを書いている。

誘惑

一番始末に負えない奴らは誰だ?

ところで、
一番始末に負えないのは実は想像力に欠ける人たちなんだろうか?

本当は権力を持った高度に偏った想像力しか持たない連中なのかもしれない。
その想像力は都合の悪いことから目を背けられるように働く。

そして、
自分たちの都合の良いように何でもかんでも優先順位を変えてしまう。

それはきっと、
今も昔も変わらないんだろう。

想像ができないのではない、
都合の良い想像をした上で悪手を放つ。

まあそんなことを言ってみたところで、
何かが急に簡単に変わるわけではない。

何しろ歴史はずっとそうやって、
道を踏み外すことなく流れてきているのだから。

さて、
ボクはそんなことは放っておいて訪れた誘惑に屈して新しい扉を開くことしよう。

♫ Temptation

最後に1曲。

誘惑=Temptationと聞いて最初に思い浮かべる曲は、
やはりトム・ウェイツ1987年のアルバム『Franks Wild Years』に入っている『Temptation』。

彼も「誘惑には抗えねえや」と唄っているけど、
そういうことだ。

Temptation, temptation, temptation.
I just can’t resist.

―Tom Waits

このクセの強い曲を全く違う感じでカバーしているのが、
エルヴィス・コステロの奥様でもあるダイアナ・クラールだね。

こちらは2004年のアルバム、
『The Girl In The Other Room』に入っている。

こちらを先に知った人も多いかもしれないけれど、
このカバーは本当に素晴らしい。

そしてもう1曲は同じカナダ出身のホリー・コールの全曲トム・ウェイツのカバーという、
ズバリタイトルも『Temptation』というアルバムから。

トム・ウェイツとはまた違うクセの強さが、
これまた結構クセになる。

三者三様、
本当にどれも素晴らしい。

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  1. おじゃまします!

    • tw-9どうもです
      アメブロから来てくれたんですね
      ありがとうございます!

      白黒TV良いですね!

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