慣れてまあいいやと思うことは別に甘いとは限らないんだと思うけどな

ヒマワリ

慣れてまあいいやと思うのは悪いことじゃあない

「まだ、ヤザキなんかに、こんなことを言ってもわからんだろうが、ボクは師範学校の頃、大きな手術を六回もやってね、胸なんか、傷跡だらけで汚いけどね、意識不明になったこともあるし、最初は怖かったが、人間は何にでも慣れるもんなんだね、手術にも麻酔にも、意識不明にも、慣れたよ、それで、ボクは、まあいいや、と思った、例えば、夏にはきれいなヒマワリやカンナが咲く、それを見るだけで、まあいいや、と思うんだ」

村上龍;69

これは主人公の担任教師マツナガが停学中の主人公に向かって言う言葉だけど、
良い意味での『まあいいや』は大事だな。

よく『まあいいや』とか『何とかなる』なんて甘いんだよという人も居るけれど、
それはそれで間違ってはいないんだろう。

例えばそれがビジネスだったりすると、
とんでもないリスクを負うことにもなりかねない。

ただあまりにも完璧を求めて『〇〇であるべきだ』とか、
『〇〇しなければならない』となってしまうのはどうなんだろう?

却って想像力を奪い、
可能性を狭めてしまうことにだってなりかねない。

『〇〇』がもしかしたら間違っていることだってあるかもしれないし、
いろいろな考え方や捉え方があるのだ。

そして、
良い意味での『慣れ』っていうやつもやはり必要だ。

もちろん慣れても良いことと、
決して慣れてはいけないことがあるだろう。

いずれにしても、
慣れてまあいいやになるのは悪いとは言い切れない。

夏にヒマワリやカンナが咲くのを見るだけで、
まあいいやと思うのは悪くない。

ボクだって夏の小さなヒマワリ畑を思い出すと、
まあいいやという気分にあることだって多々ある。

そうやって、
たまには『まあいいや』と甘やかすことは悪くない。

それは向日葵でも何でも良いんだけれど、
『まあいいや』になるものを幾つか自分の中に持っていると随分楽に過ごせたりするものだ。

さて、
いくつの『まあいいや』と思えるものを持っているだろうか?

ちょっと考えて、
その数を数えるのもいいかもしれない。

懐かしむくらいなら慣れてまあいいやとなって先に進むのもありだ

ところで、
人間は何にでも慣れるものなのかな?

そうかもしれないし、
そうでもないような気もするし。

今のこの状況はどうだろう?

少しは慣れたのかな?
違うステージになって以前とは全く同じにはもう戻らないかもしれない。

でもまあ良い意味で慣れて以前はどうだこうだと懐かしむ前に、
先に進むのもありだけどな。

いくら過去を懐かしんでみても、
全く同じようには戻ることはまずないだろうし戻ったと思っても必ず何かが違っているはずだ。

1度壊れてしまったものは、
いくら元に戻そうとしても壊れる前と同じにはならない。

壊れたという事実や改めて元に戻そうとした時間・想い・犠牲…
そういったものがあちこちに必ず刻まれて残っているからだ。

別にネガティヴに言っているわけではないんだ。

ただそういったことをちゃんとわかって認めて前に進んでいかないと、
いつまで経っても新しい世界は決してその姿を現わさないだろう。

現さないどころか、
そういったことに囚われていると未来そのものがないのかもしれない。

Paul Weller – Sunflower

さて、
曲はポール・ウェラー1993年のアルバム『Wild Wood』のオープニングを飾る曲。

ヒマワリ繋がりで、
『Sunflower』を聴こう。

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